太宰治を『太宰』呼びしてカッコ付けてるヤツは腹立つ、という話では別にない。腹は立つけどな。
- rie kanai
- 4月27日
- 読了時間: 5分
更新日:5月9日

最近ちょこちょこ本を読むようになった。
ここのところ観ている、NYC在住の本好きなイラストレーターさんのvlogの影響もあるかも知れない。

ちなみに私は、本は紙派の人間である。
デジタルで読んだ方が資源が無駄にならないし、物理的なスペースも取らないことは承知なのだが、風景論の観点からしても、私は紙派なのだ。
電車で一様に俯いてスマホを眺めている人間の群れには、意地でも加わりたくない天邪鬼タイプなのだ。
あと目にも優しいし。
それに家に本棚があるのって良いもんだ。
そんな訳で読書の話。
実は本を読みたい欲は定期的にムラッときており、既に積読は我が家に存在した。
去年の夏にダウナー(平たく言えば鬱だ)になった際、その牙城を遂に崩す時が来たか、と手を伸ばしかけたものの、そこにあったのは夏目漱石の『こころ』であったり、三島由紀夫のエッセイだったり、今回の太宰治の作品を複数収めた文庫だったりして、要するに当時の私にとって、どれも読んではいけない危険な本ばかりであった。
おめおめ敗北を喫した私であったが、それが今となっては、普通に手に取って読めるようになった。
まずは元気になってよかった。
今回は太宰治の『人間失格』の感想文を書くつもりなのだが、漱石の『こころ』も読破したのでちょっとメモしておきたい。
(※ネタバレあり)
大雑把に言えば『先生』という人間の罪の告白文であったのだけれど、その告白まで随分焦らすものだから、期待し過ぎてしまって拍子抜けした、というのが素直な感想。
(本来、夏目漱石の当時の連載はその告白文の部分で、本にする時用にというか、作品にする用にというか、また別の二つの章が前に付け足された、とかいう経緯があったのだったと思う←適当か)
『先生』と『K』が実はゲイ仲で、それを『先生』は奥さんにも打ち明けられずに、それでも毎年命日には墓参りに行っている......、なんてワクテカ展開を期待してしまったのだが(実にホモ小説の読み過ぎである)、結果はシンプルに、臆病な『先生』が卑怯な手を使って『K』から、大袈裟に言えば女性を横取りしたものの、結局はその罪悪感から『先生』は逃れることができずに病んでしまった、というオチ。
実にありきたりで、「うーん」な内容である。
ただ、ありきたりだからこそ、『あるある』だからこそ、これを読む人間はヒヤリとするのではないかと思う。
私は結果『先生』が好きにはなれなかったけれど、それは結局、同族嫌悪のようなもので、私も『先生』と同じように卑怯で、きっと全く同じことをやらかすポテンシャルがアリアリだからなのであろうと思った。
そんな訳で、『こころ』は好きになれなかったが、今回は太宰治の『人間失格』について語ろうと思う。
まずは太宰治氏本人に関する印象なのだが、まず女々しい。
(これは今となっては差別用語になってしまうのだろうけれども)
二言目には『自殺』だの『心中』だの言うておる。
しかしながら悔しいことに、文体が美しいことこの上ない。
趣味で字を書く身としてはお手本にしたいくらいなのだが、正直言って、女にモテたいがためにわざとこんなに美しく書いているのではないか? と思う程であるw
腹立つな。
本当のことを言うと、実は高校生の頃に国語の授業で習った『走れメロス』がまた読みたくなって買った文庫本であった。
「なんか友情の、良い話だったな」という印象があったのだ。
いざ読み返してみると、
「いやそうはならんやろ!」
という内容なのだがwww
しかしながら、大人が子どもに読ませたい意味は分かる。
「大人にはもう無理だけど、お前らはこうあってくれ」
という、押し付けがましさにも似た希望と共に、この『走れメロス』は若人に与えられている。
私はもう大人側の人間になってしまったのだな、としんみり実感した。
それでようやっと『人間失格』の話。
(※ネタバレあり)
まず長いのに読みやすい文体だからスイスイ進んでしまう。
そしておもしろい。
憎らしいな......。
話の構成としては、主人公の手記を、第三者のはしがきとあとがきで挟んでいるような造り。
手記は三部構成で、子どもの頃・学生時代・大人になってから、みたいに時系列に進んでいく。
主人公は『人間』が下手くそだった。
それで道化を演じるようになった。
男性相手では、道化は程々にしておかないと相手が冷めてしまうから、そこそこのタイミングで切り上げるようにしていたけれど、女性は貪欲にその道化を楽しみ続けた。
(本人にそのつもりはないのだが)やがては人タラシとなって、特に女性に対しては無敵だった。 ノーと言えず、中身は人間への恐怖でいっぱいで、酒や薬でダメになった男の話、なのだけど......。
『あとがき』のくだりで、第三者の男性が、主人公を知る女性と会話をしているシーンで、
男性は、主人公の手記に一部誇張を感じていた。
けれども、女性は、手記の内容は全て真実で、彼は神様みたいないい子でした、と言った。
私はそれを読んで、
「うん、主人公の告白はきっと全て事実であろうし、そこはこの女性に同意である」
と思った。
思った次の瞬間にハッとした。
私が女だからそう感じたのではないか?
読者が男性だったならばもしかして、手記に誇張を感じたのではないか?
私も物語に出てきた女性達のように、結局はこの主人公にタラシ込まれたのではないか?
って思って、寒気がしたってオチ。
オマケ
今回読んだのは文春文庫の太宰治の作品集のやつ。
脚注が都度同じページにまとめてあって、とても読みやすかった。
巻末にまとめてあると、巻末の何ページにあるんだとか、今実際に読んでるのは何ページだったっけとか、流れがぶった切られて集中できなかったけど、これはとても良いシステム......。
ふりがなも多めで親切だった、オススメしたい。
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